『多摩川梨』という呼称は組合により商標登録をされ、知る人ぞ知るブランド梨として人気があります。
多摩川の沿岸は、水はけの良い土壌で、梨の栽培には非常に適していたため、古くから梨の栽培が盛んでした。大正の頃の川崎地区は関東の梨の一大産地でした。
やがて川崎地区の工業地区開発に伴い、梨園が減っていきますが、一方、梨栽培は多摩川を遡上して、稲城、府中、国立、昭島地区まで広がっていきました。
その後、多摩川沿いの梨栽培の組合が一致団結し、生産.販売を行うことになり、「多摩川梨」ブランドが誕生し、皇室に献上されるまでに知られるようになりました。
しかし、戦争による食糧事情のひっ迫により、梨は作付統制令により、不急不要作物に指定され、伐採を余儀なくされ、ほとんどが壊滅しました。
その後も「多摩川梨」を復興させようと努力しましたが、高度経済成長による都市化などで栽培面積の減少、後継者問題などにより生産農家は増えず、希少な梨になっていますが、今も根強いファンに支持されています。